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「インディア・スタック」はなぜ画期的なのか(後編)

2021.07.09 / TRENDS

(文責:田中啓介・山本久留美)

1. インディア・スタックはなぜ画期的なのか(後編)

インディア・スタックはどんな点が新しく、なぜ画期的なのでしょうか。上記3点に注目してそれぞれご説明をしたいと思います。

1. 公共財としてのプラットフォームで、誰もが等しく利用できる

2. 「モバイルファースト」で作られている

3. 「iSpirt」というボランティア組織によって作られた

(1) 公共財としてのプラットフォームで、誰もが等しく利用できる

インディア・スタックは「公共財」としてのプラットフォームなので、国民が所有し、政府が管理することで誰もが等しく利用できるものです。公共財として各APIのソースコードが公開されているので、透明性を保てます。さらに、民間企業が参入できるので技術開発のスピードが上がるという側面もあります。また、政府と民間の両面から支える構造なのでデータガバナンスが向上し、結果として個人情報の漏洩減少につながっていることも特筆すべき点でしょう。

(2)「モバイルファースト」で作られている

インディア・スタックの各オープンAPIは「モバイル・ファースト」のもと作られています。構造自体がモバイル端末での利用の想定を徹底している点は非常に画期的だと言えるでしょう。インドがデジタル大国になったのは、圧倒的なモバイル端末の普及が一因だと言われています。「世界情報通信事情」によると、2020年3月末の時点でモバイル端末の人口普及率は88.5%とのことです。一方、固定ブロードバンドの普及率は2019年で1.4%しかなく、デスクトップを所持する個人は少数派だと言えます。インディア・スタックが広く人々の生活に浸透している理由の一因は、高いモバイル普及率とモバイルファーストで設計されている点だと考えられます。

(3)「iSpirt」というボランティア組織によって作られた

インディア・スタックは「iSpirt」というエンジニアたちのボランティア組織によって作られた構造であることが、非常に特徴的です。例えば、他国は以下のようにデジタルプラットフォームを扱っています。

中国:データ・ローカライゼーション規制に基づく一元的な管理・運用

アメリカ:法律と議会が規制しながら民間企業が運用

EU:EU一般データ保護規制(GDPR)に基づく管理・運用を模索中

世界に目を向けてもボランティア組織によって作られた仕組みを政府・民間で利用している例はありません。政府もしくは民間企業の一方向による管理が一般的です。一方、インディア・スタックは作られた経緯から在り方まで、インド独自の発展をしています。「社会をより良くしたい」という思いでトップエンジニアが集まったのは、国民の愛国心が強いインドだからこそかもしれません。この発展の経緯や運用・管理方法も海外からの注目度も高く、アジアやアフリカ各国に輸出する計画が進められています。

では、日本と比較するとどうなのでしょうか。

日本は政府や自治体、企業に至るまで各組織の担当領域における個別最適を追求する傾向にあります。そのため、抽象化のプロセスが欠如しており、汎用性が低く、変化に弱くなってしまっています。つまり、多くの組織が現状から抜け出せず、日本の縦割り社会がある種の習慣病となってDXを推進する上での大きな障壁になっていると言えます。

一方で、インディア・スタックは個別最適ではなく、政府や自治体・企業を含む国単位の横のつながりを大前提とする「全体最適」の観点から作られています。「全体最適としてデジタル技術とデータをいかに利用するか」という基準にもとづいて公共財プラットフォームを再定義し、さらにAPIを公開することで官民学が一体となってイノベーションを生み出せる環境をつくってしまったのです。 一度俯瞰して目指すべき全体最適を再定義し、その上で具体化することこそDXの本質だと言えます。「レイヤー構造を設計し、各レイヤーでさらに最適化を目指す」ことを実行しているインディア・スタックは、まさにDXに本質的に取り組んだ好例です。

2. インディアスタックを活用するスタートアップ企業

上記で説明した5つのオープンAPIを利用し、サービスを提供するスタートアップを紹介します。

(1)UPI / Aadhaar / eKYCベース電子決済企業3社

上記で紹介したUPIを利用して成長している電子決済アプリにPaytm・PhonePe・Razorpayが挙げられます。Paytmは電子決済の最大手で、PhonePeはEコマース大手・Flipkartの子会社です。Razorpayは企業やビジネス向けにUPI決済サービスを提供しています。これらのサービスでは、AadhaarとeKYCで本人確認を完了すると、UPIによる瞬時の送金・着金が可能となります。銀行口座と連動しており、手数料なしでお金を動かせる点は電子決済アプリの強みだと言えます。

2016年11月8日、モディ首相はブラックマネー撲滅・電子決済の推奨を目的として、1,000ルピー札と500ルピー札を翌日9日以降廃止にすることを宣言しました。旧高額紙幣は一定期間内に新紙幣と交換するか、銀行に預けなければならず、当時90%以上を現金決済に頼っていたインド社会は大混乱に陥りました。その一方、高額紙幣廃止をきっかけに市民の間で電子決済が浸透し始めたのです。

そして、コロナ感染を機にオンラインデリバリーや電子決済など、非対面で完結するサービスを利用する人が爆発的に増え、2020年は「5年で起きる変化が3ヶ月で起きた年」と言われるほどでした。インドのビジネス新聞Business Lineによると、2016年8月から2020年8月に行われた電子決済は約255億回で、そのうち79億3,400万回が2020年3月〜8月に行われたとのことです。たった5ヶ月間の決済数が4年間の決済数の約3割を占めており、コロナによって多くの人が決済スタイルを現金からオンラインに転換したことがわかります。

(2)政府サービスのアクセスを容易にしたEasyGov

CEO               :Amit Shukla

企業名             :Surajya Service Ltd

創業年             :2015年

拠点                :ニューデリー

業種                :IT・テクノロジー

Webサイト       :https://www.easy-gst.in

インド政府のWebサイトから、助成金や奨学金など、補助金の情報に自由にアクセスすることは至難のわざです。自分が受け取る資格がある補助金の情報のみを抽出することは不可能と言っても過言ではありません。行政サービスへの申し込みは複雑でわかりにくく、WebサイトのUIも決していいとは言えません。一方、対面ではスタッフの失礼な対応や人によって異なる手続きに悩まされます。

EasyGovは市民が何千もの行政サービスに自由にアクセス・申し込みができるようにするためのクラウド型のソリューションです。Aadhaar、eKYC、eSignにより、管轄先やオートメーションレベルに関係なく、完全オンライン・ペーパーレスで申し込みプロセスを完結できます。時間や場所にかかわらずモバイル端末から行政サービスに申し込めるので、よく問題となる公務員への賄賂の受け渡しの撲滅の一端も担っています。

インド政府の電子工学・通信技術省(Ministry of Electronics and Information Technology)もEasyGovのクライアントであり、60の行政サービスに容易にアクセスでき、さまざまなアクティビティに参加できるアプリケーション「MyGov」をリリースしています。インドの公用語すべてに対応しているのも特徴的です。他にも、カルナータカ州、ハリヤナ州、トリプラ州、ビハール州のシステムにもEasyGovが利用されています。

2019年にインド大手財閥であるリライアンスグループがEasyGovを獲得しています。リライアンスグループの通信会社のJioは、モバイルアプリ「My Jio」の中に「Jio EasyGov」というプラットフォームを備えており、コロナ発表からたった2日でプラットフォーム内にコロナ対策スキームを立ち上げました。

(3)圧倒的な個人認証テクノロジー企業AuthBridge

CEO                :Ajay Trehan

企業名             :AuthBridge Research Services Private Limited

創業年              :2005年

拠点                :グルガオン

業種                :AI・テクノロジー

Webサイト       : https://authbridge.com

AuthBridgeは2020年時点でインド最大の個人認証テクノロジー企業です。AIによる顔認識や生体検知、データ抽出や重要書類の光学文字認識などを扱っています。データセキュリティはインドが遅れを取っていた分野ですが、AuthBridgeはいち早くコンプライアンスの向上に取り掛かりました。AuthBridgeはオープンAPIのうちeKYCやeSign、Aadhaarを活用し、下記のようなソリューションを提供しています。

  • Digital KYC・Video KYC
  • Digital documentation & eSign

KYCでは、職員が住所を訪問して身分証をチェックしたり、顧客が支店を訪れて書類を提出したりして住所確認することが一般的でした。Digital KYCは、KYCからフィジカルなプロセスを省き、オンラインで完了させるためのテクノロジーです。AuthBridgeが提供するVideo KYCは生体検出と位置情報、OCR(文字認識)を利用し、スマートフォンで撮影する動画越しに個人認証を完結できます。

また、Digital Documentation & eSignでは署名プロセスや書類を電子化して格納することに加え、Aadhaarに紐づいた電話番号によるOTP認証や、契約書締結の際には各ステークスホルダーの個人認証の実施も可能です。AIやマシーンラーニングを積極的に活用し、認証プロセスの最適化や拡大に努めており、ソリューションやプロダクトの数を勢いよく増やしています。

(4)スピーディーな融資を実現するNIRA

CEO               :Rohit Sen

企業名             :Shuhari Tech Ventured Prica

創業年             :2017年

拠点                :ベンガルール

業種                :金融

Webサイト       :https://nirafinance.com

NIRAのCEOであるイギリス系インド人のRohit Senは12年間イギリスでトレーダーを務めていましたが、インドの金融市場に可能性を見い出し、インドに戻ってNIRAを立ち上げました。NIRAは「フェアなレートで、素早く、摩擦のないファイナンス」を掲げており、融資までのスピードが格段に早い少額ローンを提供しています。

NIRAが提供する「Instant Cash Loan」 は5,000ルピー(約7,400円)から最大1ラークルピー(約14万9,000円)までの融資の審査が、最短3分で審査が終わり、融資が下りるほどのスピード感です。NIRAは審査通過後にUPIで即時に融資します。そのため、場所や時間に関係なく、利用者はいつでも融資を受けられます。申し込み条件はInstant Cash Loanの場合、「月収20,000ルピー以上の大卒、在職期間半年以上」と比較的ハードルが低く、デジタルレンディングの門戸を広げる存在となっています。他にも、融資限度額が大きい「Personal Loan」やスマートフォンの分割支払いに対応する「Mobile EMI Loan」、AadhaarとKYCによる本人確認が必要な少額ローン「Small Loan」を提供しています。

活躍分野を広げるインディア・スタックのオープンAPI群

オープンAPI群は、現在ではヘルスケや保険分野でも活用され、電子カルテのポータブル化や遠隔診断・セカンドオピニオン事業の展開にも欠かせないものとなっています。

今後は規制の領域での利用も拡大することが予想されています。 たとえば、インドではドローンを飛行させる時には「Digital Sky」というアプリケーションへの登録が必要です。Aadhaarによる本人確認後に飛行区域や飛行日程などを入力すると、自動的に飛行許可が下りるようになっています。国産ドローンしか登録できないので、海外製ドローンの排除にも貢献しています。ドローンの一例からもわかるように、オープンAPIが活用される場面はさらに拡大していくことが予想されます。

3. ワクチン予約サイト「CoWIN」のAPIも公開

インド政府はオープンAPIを活用し、民間企業の力を借りながらさまざまなサービスの利用拡大を図っています。2021年5月、インド政府はコロナワクチンの予約Webサイト「CoWIN」のAPI を公開しました。CoWIN上でワクチンの予約をしようとすると1つ1つエリアや病院の空き状況を確認する必要があったのですが、API が公開になったことで、民間企業がよりスムーズに予約できるように開発を進めました。

たとえば、Paytmがアプリ内でスロットの空き状況を通達したり、Telegramは枠が空いたタイミングで通知を送ってくれたりします。Google Chromeには「COVID Vaccine Slot Checker- India」が登場し、希望の予約枠が見つかるとアラームによる通知が来ます。 詳しくは弊社関連会社HPの「Vol.0100 ワクチン接種の行方は?インド政府が公開したCoWINオープンAPI」にて説明しているので、こちらで民間企業によるCoWINオープンAPIの活用方法をぜひご確認ください。

4. まとめ

インディア・スタックは世界でも独特の発展方法を遂げたデジタル・プラットフォームです。まさにDXの本質を突き詰めたイノベーティブな構造で、日本もその姿勢を見習うべきだとも言えるでしょう。 インドのスタートアップは各オープンAPIを積極的に活用しており、各方面でDXがすさまじいスピードで進んでいます。今後もインディア・スタックを利用したスタートアップの新事業に注目してみてください。

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