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2022.08.08 / TRENDS
(文責:田中啓介・山本久留美)
農作物の輸出量世界9位のインドは、農業大国です。
しかし、その実態を支えるのは約9割近くの小規模農家で、そのために大規模かつ効率的な耕作が行えず、生産性や賃金の低さ、自然災害への脆弱性などの大きな課題を抱えている側面もあります。
現在、このような課題に対してテクノロジーを駆使し、解決を試みるアグリテック企業が躍進しています。今回は、インドの農業の実態とアグリテックスタートアップ企業を紹介します。
インドでは全人口の58%が農業に従事しており、農業が主要産業となっています。2020〜2021年の収穫量は過去最高の3億865万トンを記録しました。2019年時点で世界9番目の農産物の輸出大国となっており、有機栽培農家数は世界1位で、もっとも有機栽培の進んでいる国の1つとしても知られています。(i)
インドの豊かな農業を支えているのは、小規模農家です。農地面積が2ヘクタール以下の小規模農家がインドの全農業従事者の8割以上を占めています。
しかし、小規模農家は厳しい状況の中で農業に従事しています。
南インドのChennaiを拠点とする新聞Business Lineによると、2018〜2019年の農業従事者の平均の年所得は約12万ルピー(約20万円)しかありません。(ii)インド農村部ではこのような小規模農家たちが身を寄せ合うように集落を作って暮らしており、厳しい生活を強いられています。農業従事者たちの所得の低さは大きな課題となっており、債務免除を求める大規模デモも度々起こっています。
政治家たちにとっては、人口の多い農業従事者から支持を得ることは、政権維持の生命線でもあります。モディ首相は、過去何度も農業への補償や対策を全面的に打ち出してきました。
第二次モディ政権は農業への支出を倍にしており、モディ首相は2022〜2023年にアグリテックに大規模な予算を投下することを発表しています。
また、インド農業・農民福祉省(Ministry of Agriculture & Farmers’ Welfare)はテクノロジーを活用した農作物の生産から収穫に関する教育、また、マーケッティングに関する教育を農業従事者に与えるスーパーアプリの立ち上げも計画しており、インド農業研究評議会(ICAR)などを含む業界団体や大学等によってすでに開発されているアプリ(Kisan SuvidhaやPusa Krishiなど)との連携・統合も視野に入れているようです。
このようにモディ首相は農業へ積極的に投資していますが、農家の債務免除は認めていません。
根本的に農業従事者の生活を改善するには至っていないのが現状です。
前述のように、インドの農業は小規模農家が支えているため、長年の課題として代表的なものが3つあります。
1. 生産性の低さ
2. 農業従事者のノウハウ不足
3. 多すぎる中間業者
それぞれの課題について以下で解説します。
他国と比べてもインドの生産率・収穫率は低い傾向にあります。小規模農家たちは、小さな農園(2エーカー以下)で手作業をしています。さらに、農園の大きさが1エーカー以下の零細農家も少なくありません。
農業機械の導入も約1割程度と進んでおらず、効率的な農業の実現が難しくなっています。道や農地が狭いせいで、物理的に機械の乗り入れが不可能な土地も数多くあります。
これらの背景から、インドの単位面積(ヘクタール)あたりの収穫量は3.2トンしかなく、世界平均の4.1トンを大きく下回っています。(iii)
生産性の低さが所得の低さにもつながり、低い所得のせいで農業に投資ができない状況です。下記を含むインドの農業の課題は互いに相関しており、状況は悪化しつつあります。
生産性の低さの要因にもなっているのが、知識・ノウハウ不足です。十分な知識やノウハウが農業従事者にないため、十分な生産量を得られていません。災害や作物の病気に対する備えもないので、環境の変化によって収穫量が大きく左右されてしまいます。
1960年代に起こった「緑の革命」は近代的な農業方法として化学肥料を導入するものでした。緑の革命によって一時的に小麦などの生産量が飛躍的に増加しましたが、1990年代からは生産量の増加率はゆるやかになっています。また、化学肥料と農薬に頼る農業によって土地が痩せてしまい、塩害のせいで農作物が育たない農地が拡大しているという現状もあります。この頃に灌漑も取り入れられましたが、過剰な水の利用によって地下水が枯渇してしまう土地も増えています。
ノウハウがなく、比較的安価で入手できる肥料や農薬に頼りっきりになってしまっているのです。
農産物の流通は非常に深刻な問題です。農村から都市部の消費者に農産物が届くまで、何社も中間業者を経由しなければなりません。そのせいで、農業従事者に還元される利益が非常に少なくなってしまいます。
消費者が1kg 20ルピー(約33円)程度で買えるトマトの場合、農家の販売価格は1kg 5ルピー(約8円)程度です。
政府は農産物を買い上げて貧困層に安い価格で分配するシステム(Public Distribution System: PDS)によって貧困層と農業従事者、両方の生活を支えようとしています。(iv)しかし、買い上げの対象となるのが米や小麦に限られているので、全ての農業従事者が対象となるわけではない点にもこの制度の欠陥があります。
PDSを利用した農産物の不正な横流しなども発生しています。政府は、eNAMという電子流通ポータルなども立ち上げて状況の改善を図っていますが、インド全土への農産物の分配には至っておらず、依然として普及・運用の両面に課題があります。
政府は農業従事者向けに補助金を出したり、ローンの貸付をおこなったりもしていますが、銀行口座を持てない農家たちは補助金の受け取りにも中間業者を介さなければなりませんでした。そのせいで手元に届くころには本来の額の1-2割まで減ってしまっており、補助が機能していなかったのです。この状況を打開するため、農業従事者1人1人に銀行口座を持たせ、直接送金するためにAadaar(アーダール)のシステムが生まれました。詳しくは、「オープンAPI「インディア・スタック」とは(前編)」をご覧ください。
現在も、広大な国土に農産物を行き渡らせるには、たくさんの業者を経なければならない現状は解決していません。
さまざまな制度を活用しても、農業従事者の平均月収は100ドル以下のため、ローンを組むのがどうしても難しくなっています。そのため、農業に投資ができず収穫量が上がらない、収穫量が少ないので収入につながらない、という悪循環に陥ってしまっています。
このように、インドの農業には課題が山積みです。これらの課題は長年解決に至っておらず、テクノロジーの力で解決を図るアグリテックに期待が集まっています。
テクノロジーを使って作物の生産方法を根本から改革しようとするスタートアップに、Cropin Technology SolutionsとGRoboMacが挙げられます。
企業名:Cropin Technology Solutions Pvt. Ltd.
創業:2010年
本拠地:Bengaluru
Webサイト: https://www.cropin.com/
Cropinは農業ソリューションを提供するSaaS企業で、2018年時点で29カ国以上にサービスを展開しています。AIと機械学習を用いて「エーカーあたりの価値の最大化」を目指しており、数々のベンチャーキャピタルやビル&メリンダ・ゲイツ財団も出資するなど世界中から注目を集めています。
ClopInは区画レベルでデータ収集・管理をするアプリ「SmartFarm」によって農場の管理からバリューチェーンの効率化や生産物の予測可能性、持続可能性を高めることを可能とします。 また、機械学習を用いた予測分析プラットフォームのSmartRiskでは、2021年時点で1億6000万ヘクタール以上の土地を処理しており、今後3~5年で世界の7000万の農家に影響を与えると発表しています。
企業名:Green Robot Machinary Pvt. Ltd.
創業: 2014年
本拠地:Bengaluru
Webサイト:https://www.grobomac.com/
農業の家系に生まれたManohar Sambandam氏はIT企業でチップ開発やプログラミングを25年経験した後に自身で農業に取り組みました。その際、耕作はうまくいったものの、農業機械が使えず、収穫できずに作物を枯らしてしまいました。これがきっかけで、Manohar氏は効率的な収穫にフォーカスしたロボットの開発に至りました。
茎にトゲがある綿花の収穫をするロボットはプロトタイプ段階で企業規模も小さいものの、カルナータカ州政府による優秀なスタートアップ企業100社「Elevate 100」に選ばれています。このロボットはディープラーニングを使わず、画像処理によって綿花の位置を検出するため、学習にかける時間を削減できるというメリットがあります。
農業従事者に対して遠隔サポートを行うアグリテック企業の代表に、FreshokartzとLawrencedale Agroが挙げられます。同2社は、農業従事者の教育に加え、流通経路の整備にも尽力しています。
企業名:Freshokartz, Agri Pvt. Ltd.
創業:2016年
本拠地:Jaipur
Webサイト:https://www.freshokartz.com/
Freshokartzは種や肥料の販売から、作物の販売のための流通経路まで提供し、インドの農業エコシステムを組織化することを目指しています。Freshkartzは土壌テストを実施して最適な肥料を提供することに加え、病気から作物を守るためのコンサルティングやアドバイス、さらには農業機械やローンの貸付なども実施しています。
企業名:Lawrencedale Agro Processing India Pvt. Ltd.
創業:2009年
本拠地:Chennai
Lawrencedale Agro Processing India (LEAF)は耕作・加工・流通の3つの分野の最適化を図り2009年に立ち上がった企業です。
生産性の向上のために農家どうしのネットワークや24時間のサポートなどを提供している同社には、健康と環境保護への強い懸念があります。毎年、むやみに使われる農薬のせいで土壌が汚染され、耕作ができない土地が増加しています。また、実際に健康被害も報告されているため、国全体で残留農薬への意識が高く、ハリヤナ州など一部の週では有機栽培農家には補償金が出ます。
Lawrencedaleは農薬を減らしても生産量を高めることをゴールに、農家へのサポートを提供しています。
流通経路の最適化にフォーカスしたスタートアップを紹介します。特にNinjacartはインド国内でも有名なメガベンチャーで、アグリテックを流通の面から検認しています。
企業名:631Ideas Infolabs Pvt. Ltd.
創業:2015年
本拠地:Bengaluru
Webサイト:https://ninjacart.in/
Ninjacart抜きにインドのアグリテックは語れないとも言えます。Ninjacartは、アナリティクスと機械学習を駆使した農産物サプライチェーンのパイオニアです。2022年8月現在、従業員は4,000人以上まで増えています。
Ninjacartは農業従事者と消費者や飲食店を直接つなぐプラットフォームを提供しています。農業従事者は、中間業者を挟まない分高い利益を得られ、支払いを24時間以内に受け取れるというメリットがあります。また、野菜などは中間業者を経るたびに傷んでしまいますが、農家から直送されるため消費者は品質のよい状態で農産物を入手することが可能です。
企業名:Waycool Food & Product Pvt. Ltd.
創業:2015年
本拠地:Chennai
Webサイト:https://waycool.in/
Waycoolは農作物の流通、加工、販売までエンド・ツー・エンドのフードサプライチェーンを構築しています。すでに85,000以上の農家と契約し、1日で約900トン以上の食品を100万人以上の消費者に届けています。
同社は農産物をそのまま流通させるだけでなく、自社プロダクトとして加工し、Waycoolブランドとしても提供しています。
同社は「約50万人の農家にポジティブな影響を与えること」「世界の食料の1%を扱うフードサプライチェーンになること」を掲げ、販売網や物流センターの拡大だけでなく、農家へ水の利用をはじめとする持続可能性について教育したりもしています。
インドの農業分野へ最初に進出した日本のアグリテック企業がサグリ株式会社(インド法人名:Sagri Bengaluru Pvt. Ltd)です。同社は、衛星データ、農業データ、AIを用い、効率的な農業実現のためのソリューションを提供しています。インドではソフトウェア開発やテクノロジーの提供にとどまらず、農業従事者への与信データ付与などマイクロファイナンス事業も展開しています。
サグリは、Freshokartzといった様々なスタートアップとの連携を進めつつ、上記でも紹介したインド農業の大手と言われるLawrencedale Agro向けにスマート農業データ基盤のサービスを導入しており、彼らの持つ巨大な農家ネットワークを通じてスマート農業普及に資するデータ基盤を構築しつつあり、現地企業への浸透度合いを深めつつあります。
さらに、最近では、衛星データから土壌表面の化学指標(窒素、炭素)を分析することで、化学肥料の最適化を実施し、農業分野における脱炭素の実現に向けた活動も展開しています。
インドの農業従事者たちの生活向上のために尽力するサグリに、今後も要注目です。
さまざまなテクノロジー企業が、今まで続いてきたインドの農業の在り方を変えようとしており、インド農業は過渡期を迎えていると言えます。
長年農業従事者を苦しめてきた多すぎる中間業者がなくなる未来も、そう遠くないのかもしれません。
脚注