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2021.07.05 / TRENDS
(文責:田中啓介・山本久留美)
インドはDX (デジタルトランスフォーメーション)を国全体で積極的に進めており、その勢いは「デジタル先進国」と言っても過言ではないほどです。インドのDX施策でもっとも特徴的なのが「インディア・スタック(India Stack)」と呼ばれるオープンAPI群です。インドではこのオープンAPI群を民間企業が積極的にビジネス上で活用しています。 政府主導でAPIが公開されることはインドでは珍しくありません。直近では政府が開発をしたワクチン予約サイト「CoWIN」のAPIが公開され、ワクチンスロットの空き状況の自動通知機能や予約機能が民間企業やエンジニア有志により数多く開発されました。今回は、あらゆる政府・民間サービスのインフラとなっている「インディア・スタック」について詳しく解説したいと思います。
「インディア・スタック」とは、政府・民間企業・ディベロッパーがデジタルインフラを使えるようにするための、オープンAPI群から成るデジタル公共財、またその構造のことを指します。Google Arts & Cultureはインディア・スタックのことを「インドの人口をデジタル時代に導く統合ソフトウェアプラットフォームを作成するという野心的なプロジェクト」と描写しています。各APIはさまざまなインドの課題解決のために利用され、行政・民間の両面からDX推進を後押ししています。
インディア・スタックは4つの概念的なレイヤーから成っています。
場所・時間関係なくデジタル上で生体認証による本人確認を可能にする
個人に関する記録や情報をデジタル上に保存し、利用可能にする
国内銀行口座や電子ウォレットに対しオンライン上の即時支払いを可能にする
自由かつ安全なデータの利用への同意承諾を可能にする
(引用:India StackオフィシャルHP)
これら4つの概念のもと、オープンAPI群が利用可能となっています。
4つのレイヤーは独立していると言うよりも、「プレゼンスレス・レイヤー」が土台となっており、その上に「ペーパーレス・レイヤー」が、さらにその上に「キャッシュレス・レイヤー」が積まれているイメージです。そして、さらにその上に「コンセント・レイヤー」が近年加わっています。各レイヤーは以下のような経緯でこれまで発展してきました。
まず、2010年から登録申請が開始されたインド版マイナンバー制度Aadhaar(アーダール)が、世界最大の生態認証システムとして発表されました。これによって、本人確認がオンライン上で可能となり、プレゼンスレス・レイヤーの概念が確立されました。そして本人確認に付随する各手続きがペーパーレスで進められるようになり、手続きに関する支払いもオンラインで簡単にできるAPIも公開されました。
そして、このインディア・スタック上のデータの展開や共有に個人から同意を得るため、コンセント・レイヤーの概念が加わり、データを安全に各マーケティングに活用することが可能となったのです。インディア・スタックの土台である「プレゼンスレス・レイヤー」は上述のとおり国民全員にデジタルIDを付与するシステム「Aadhaar」によって生まれたと言えます。
Aadhaarは13億人の国民それぞれに12桁のID番号を振り分け、さらに指紋・虹彩・顔の情報から個人を認証するシステムです。ID番号と顔写真が印刷されたカードを「Aadhaarカード」と呼び、インドでは身分証明証として利用されています。13億人にIDを振り分け、生体情報の登録を進めるには、言うまでもなく途方のない労力がかかります。それでも政府がAadhaarの導入を推進した理由の大きな1つに、農家への補助金の給付問題がありました。
政府は賃金の安い農家に対して補助金を給付していますが、農家の多くが銀行口座を持てず、給付金を受け取るために中間業者を利用していました。農村部では身分証や出生証明書を持たない人々がめずらしくなく、銀行口座開設手続きが進められなかったからです。そして、中間業者が給付金の大部分を不当に搾取していることや不正受給が長年問題となっていました。この中間業者を駆逐すべく導入されたのがAadhaarです。
Aadhaarによって農家が身分証明書を持ち、銀行口座を作ったことで中間業者の必要性がなくなり、同じ給付総額にもかかわらず農家の手元に届く額は2倍になりました。また、インド政府は2013年にAadhaarの活用を前提とした補助金転送メカニズムであるDBT(Direct Benefit Transfer)スキームを開始し、コロナ禍において発表された農家向け補助金給付をたった1週間で完了させたと言われています。2020年、日本政府はコロナ対策として国民に一律10万円を給付しましたが、給付率が90%を超えるのに2ヶ月半かかりました。両者を比べると、インド政府の圧倒的なスピード感には驚かされます。
このAadhaarの登場が発端となってレイヤー構造ができあがり、公共基盤となりました。そして、ディベロッパーは各APIを利用してアプリケーションの開発を現在も進めています。
インディア・スタックで核となっているオープンAPIは以下の5つです。
インディア・スタックのオープンAPIを利用したサービスは、インドの日常生活において欠かせません。(1)Aadhaarは前述の通りID番号による本人認証で、銀行口座開設や自動車免許の発行、携帯電話のsimカードの作成時など、重要な場面で広く用いられています。(2)eKYCは「Electronic Know Your Customer」の略で、本人認証に加えて住所等の個人情報に基づく本人確認を行うことを指し、銀行系のアプリで活用されています。
(3)Digilockerは納税者証明であるPANカードや免許証などの情報をまとめてデジタル上に格納できる機能で、本人の同意があれば格納された情報を第三者に渡すことも可能です。運転免許を持っている友人は免許証を持ち歩かず、警察に止められた時にはDigilockerを開いて免許証情報を見せていました。(4)eSignはまだ普及半ばではありますが、「コンセントレイヤー」の中心機能です。eSignによって電子署名が可能となり、契約者同士が対面せずに契約書を交わすことができます。AadhaarやDigilocker、UPIとともに利用することで、デジタルレンディングなども可能となりました。
5つのAPIの中でも特に日常生活の利用頻度が高いのがデジタル決済共通基盤である(5)UPI(Unified Payments Interface)です。UPIはGoogle PayやPaytmなどの支払い系アプリからアクセスでき、どんな銀行間でも瞬時に、手数料なしで送金することができます。今までは2,000ルピー札や500ルピー札をお店で使おうとすると「おつりがない」と断られていました。ですが、小さなショップも基本的にUPIのアカウントを持っているので、UPI支払いにすればおつりの心配もいりません。 インドの日常生活は不便や不合理で溢れ、課題こそ多いのですが、テクノロジーを活用しながら着実に課題解決を実現し、ダイナミックなDXが推進されていることを日々実感しています。後編では、インディア・スタックがなぜ画期的なのかをより深く考察し、インディア・スタックを活用したスタートアップ企業をご紹介したいと思います。